Alibabaの話

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出展のきっかけはコロナ禍

2020年前後、コロナで展示会は下火になった。
海外のバイヤーも日本に来られない。
そこで「Alibabaはweb展示会みたいなものだ」と思った。
展示会に来てもらえないなら、こちらから海外に直接販売すればいい。
そう考えて出展を決めた。


出展前に抱いていた期待

Alibabaは「世界中のバイヤーが集まる場所」と宣伝されていた。
しかも「オンライン展示会」という打ち出し方をされていたから、展示会の代替としてちょうど良いと思った。
欧米のブランドやバイヤーが「日本製」を探しているに違いない。
出展さえすれば海外OEMの仕事が自然と舞い込んでくるはず、そう信じていた。


UIが終わっていた

出展して最初に感じたのは、UIのひどさだった。
当時は日本語もまともに使えず、管理画面は直感的に扱えない。
「世界に売るサービスなのに、なぜこんなに使いづらいんだ?」と感じた。
今は改善されているかもしれないが、当時は本当に不親切でストレスばかりだった。


広告をかけなければ存在しない

Alibabaは出展しただけでは誰の目にも触れない。
広告をかけて初めて検索上位に表示される
確かに広告をかければ問い合わせは増えたが、その多くは価格交渉ばかり。
「出展=世界に届く」ではなかった。


フォローミーティングの徒労感

出展後は月1回、Alibaba Japanの担当者とフォローミーティングがあった。
だが内容はほとんど広告の出し方
「検索に引っかかるよう、長ったらしい単語を組み合わせて商品ページを量産しましょう」といった話ばかり。
まるで企業同士のマッチングサイトで「できるだけよく見せて登録件数を増やす」のが目的のようだった。
肝心の商談にはつながらず、正直不毛だった。


工場の数とバイヤーの態度

Alibabaには世界中から何千何万という工場が並んでいる。
その中でバイヤーは完全に「選ぶ側」だった。

  • 少しでも高ければ「じゃあ要らない」
  • 返事が遅ければ「他を当たる」
  • サンプルを送っても「もっと安く」と値切られる

こちらは数ある工場の一つに過ぎず、対等な関係にはならなかった。


日本製と中国製の価格差

問い合わせの中心は北米・欧州。一部中東もあった。
けれど、日本国内ですら中国製の方が安いのに、海外ではさらに差が広がる。

中国製5ドル、日本製15ドル。
この差で日本製を選ぶ理由はない。
品質も「職人技の領域」でなければ大差はなく、日本製である意味はほぼ消えていた。


差別化にならなかった「デザインできます」

OEM工場として出展していたので「デザインもできます」と打ち出した。
しかし工場を探すバイヤーは、自分でデザインできるか、自国のデザイナーに外注すれば済む
「デザイン対応可能」は強みにならなかった。


専任担当者がいないと勝負にならない

さらに致命的だったのは専任体制の有無だ。
中国の工場では、複数人がAlibaba担当として常駐し、問い合わせに即レスしている。
数分で返事を返すのが当たり前。
片手間で対応していた自分たちには到底無理で、競争に参加する前に脱落していた。


学び

  • Alibabaは「安く・早く・大量に」が前提の土俵
  • 工場として中国と戦うのは構造的に無理
  • 日本製を選ぶ理由は「どうしても日本製が必要な特別なケース」に限られる
  • 出展してもUIは悪く、広告をかけなければ存在せず、フォローミーティングは広告とSEO施策ばかり
  • 専任担当者を置く体制がなければ、そもそも勝負に参加できない

次に気づいたこと

世界に売ること自体は間違いじゃない。
でもAlibabaは土俵が違った。
必要なのは「まとめて世界」ではなく、国ごとにローカライズした戦略。
アメリカとフランスでは需要も価値観もまったく違う。
そして海外で勝負するなら、工場としてではなく、ブランドストーリーを持った自社商品で挑むべきだと思った。


結論

世界に売っていくのは間違いじゃない。でもAlibabaじゃない。

だから今は、OEMブログのように自分たちの強みを活かせる場所を育てる方が成果につながっている。

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